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我がフライ人生の履歴 ①

初めてのフライフィッシング(FF)はいつだっただろう?

どう言う理由だったかは忘れてしまったけれど、オービスの#6のロッドを手に入れたことがきっかけだった。 今から20年以上も前(1970年後半)のことだったので、当時FFに関する情報はごく限られていたし、今にして思えばかなり偏っていたと思う。

これから話すことは当時の地方にいたど素人が模索した体験談なので、当時の先駆的なフライマンのレベルの話ではないこと。 そう言う人は今ではFF界の大御所になられているが、釣師郎は今でも下手な横好きのレベルで徒に馬齢を重ねている。

で何で#6だったかて言うと、当時それが定説だったからである。 FFとは英国で発祥し欧米で発展したスポーツフィッシングと釣の本で解説されていた。 彼ら白人たちはトラウトの住んでいる川で、フライをとうとうと流して釣りをするし、それが格調高く正統派であるとも解説されていた。 とうとうとである。

川には流れの速い中心部と流れの遅い周辺部があって、対岸側の周辺部にフライを自然に流すことをナチュラル・ドリフトと言う。 フライラインがまたぐ中心部の速い流れに、フライが不自然に引っ張られないように、フライラインの中央部を竿先を使って川の上流に打ち返していくことをメンディングと言う。

このテクニックはフライマン必須のテクニックと解説されていた。 流すフライは、ロイヤルコーチマンとかバイビジブルといった今では古典のドライフライであった。 シンセティックなマテリアルが皆無の時代、これはこれで仕方ない選択だった。

釣師郎はオマケみたいなよく分からないドライフライを5、6個仕入れてオービスの#6を担いで、近くの渓流にはじめて行ってみた。 テーパーライン7ft、ティペット1ft、これも教科書とおりである。

これが人生最初のFFであった。 そしてはじめて知ったのである。 釣りの本に解説されていたことが、全く通用しないことをである。

川はとうとうと流れていない。 芝生の上で練習したメンディングは、フライラインが着水した瞬間、メンディングする前にはるか後方に流れ去っている。 ナチュラル・ドリフトどころではなかった。 ドライフライは一瞬でウェットフライに変わってしまった。 しかもこの買ったドライフライは足元の水溜りに2回落とすと沈んでしまうし、そもそも横倒しで寝てしまうのであった。 当時の安物ドライフライなんてそんな物だった。

釣師郎はFFとは脳内フィッシングであると悟り、アルミ管のロッドケースにオービスを封印した。

当時のFFの話て外国の釣り本をそのまま日本語に訳しただけのものだったのかもしれない。 業界で言う横書きのものを縦書きにするである。

月日が経ちある晴れた日、大学の釣り同好会の大先輩がフライ・キャスティングの練習をキャンパスでするとか言ったので、暇な釣師郎はそれを見に行った。

その先輩はシュートするときに手首を思いっ切り返すのが印象的だった。 フィニッシュ時のテクニックだったが、当時の釣師郎はそれは知らなかった。 そのため釣師郎のシュートされたフライラインは、大抵インドの蛇使いのコブラのように鎌首を上げながら水面にドロドロ落ちていったものである。 先輩に手ほどきを受けて少し飛ぶようになった。

それからしばらくして河口湖にバスフィッシングに行くことになった。 当時釣師郎はブラックバスに夢中であった。 吉田幸二氏が日本で初めてバスプロ宣言して話題になった頃でもある。

河口湖の岩礁帯に藻が密集しているエリアがあって、最初はワームを転がしていたのだが、そのうち実は隠し持ってきた封印のアルミ管を開封したのである。 懲りない性格なのである。

フライとは端から水面に浮かない物と割り切っていたので、毛糸とマラブーで巻いためちゃくちゃなフライを作っていた。

ローボートの上からおっかなびっくりキャストするとぼてっとフライラインが着水し、自作の黄色いフライが沈んでいくのが見えた。 すうっとリトリーブしてみたら、突然藻の中からバスが飛び出してきて、フライを飲み込むのが見えたのだ。 釣れたのは20センチ程度の小バスであったが、その光景や感動は今でもしっかり覚えている。 フライで魚が釣れたのである。

しかしルアーフィッシングに夢中だった釣師郎は、またもやオービスをアルミ管に封印した。そして学生時代にはその封印を解くことは二度となかった。

大学を卒業し就職して2年くらいたっだろうか、その頃になると渓流のFFがよく雑誌やTVで取り上げられるようになってきた。 情報もかなり豊富になってきていた。

日本のフィールドで試行錯誤を行った先駆的なフライマンも何人か現れていた。 日本の渓流のFFは#4で12ft超のロングリーダーが主張されるようになった。 FF発祥の地の英国の川とはチョークストリームと言われるようにとうとうと流れる河川であって、それに比べると対象魚である岩魚や山女の住んでいる日本の渓流は滝であると語られた。 滝には滝に合ったタックルが考え出されていったのである。

ただビデオでそんな新しいメソッドのFFを見たとき、これは日本古来のテンカラじゃねぇかと思ったのも正直な感想であった。 ニンフ・フィッシングなんてはそのまんまミャク釣りであった。ロッドチィップからちょろっと出たフライラインが違うくらいであとは同じ気がした。

フライである意味があるのかと素朴な疑問を感じたものだ。 しかし当時はちゃんとテンカラとフライは異なるとか、釣果ではなくプロセスを楽しむスポーツフィッシングだとか、いろいろな美辞麗句の反論があった。

あるとき取引先の人が実はFFのエキスパートでインストラクターもしている話を聞きつけ、一度これがFFだってのを指導して頂こうとお願いをした。 師匠は快く引き受けてくれて師匠の釣友と共に、神奈川の渓流タイプの管釣りに連れて行かれ、そこで手ほどきを受けた。

釣師郎は正直にドライで釣ったことがないし、川の流れを読んでフライを流すことなんてできないと申告したところ、蛍光色のマーカーを付けたラインシステムを手渡された。 背中がくきっと曲がった細長いニンフをもらった。 釣師郎が作るニンフとは桁違いにリアルだった。 この時思ったのだが、フライ・タイングは下手ほど厚く巻き、上手ほど薄く巻けることを知った。

さてニジマスの居るかなり上流にぽてっとマーカーが落ちると、ニンフが沈んでいくのが見える。 師匠が無駄なラインスラッグを取ってと横に立って指導し、そこでメンディングと手ほどきしてくれた。 さすが管釣り、ビギナーに優しいチョークストリームだった。

ニンフに反転する銀色の光が見えるとマーカーがしゅぽっと沈み、軽くアワセるとニジマスが釣れた。 感動した。 結局釣師郎はマーカー釣りで何匹かのニジマスを何とか釣ることができた。

師匠たちはドライやニンフで釣りまくっていた。 日が暮れた帰り際に釣師郎は師匠にお礼をしながら、「FFて難しい釣りなんですね。 ルアーより釣れないけれど、そこがFFの高級で魅力的なところなんですね。」と言った。

すると師匠たちはきょとんとした顔をして「えっ?フライはルアーより釣れるよ。」と言われた。 ビギナーだった釣師郎は、さすがこのクラスになると自信満々なんだと思った。しかしそれはずっと後になって、自慢なんかではなく本当のことなんだと知るようになった。
釣師郎は札幌に転勤になった。

その一年前に一人で単車で道東を旅した。 釧路駅の前で単車を停めて記念写真。 思えば遠くに来たもんだ~♪と口ずさんでいた、二度と来ることないだろうと。

したら自分が翌年札幌に転勤になって、しかも仕事でよく釧路に行くなんて夢にも思わなかった。

札幌での新生活が落ち着きだした頃、近くに支笏湖とか言う巨大な湖があって、なんだか釣れるんじゃないかと思って、支店の人に聞いてみると、「あそこはチップの湖でそれ以外に釣りやっているなんて聞いたことがない」といった寂しい返事だった。

血液型がB型だからなのか、駄目と言われても本当に駄目なんだか試してみたい性格の釣師郎は、ルアーロッドを携えて7月ごろだったかな、支笏湖美笛の浜に向かった。 そこは噂に違わず完全貸し切り状態。東京から来た釣師郎にとっては楽園だった。

視界の限りに釣り人どころか誰一人として居なかった。 釣り人が居ない釣り場と言うものを人生初めて目にした。

ルアーをキャストしてみると、東京では見たことないアメマスが、簡単にぽろぽろ釣れた。 ここは桃源郷、ザナドゥーか!? しばらく支笏湖通いが続く。

ところがある時ふと思った。 こんなに魚影が濃くて周りに誰も居ない。 もしかしたら誰にも見られずにフライ・キャスティングの練習ができて、しかも魚まで釣れるんじゃないか? こりゃあFFやらなきゃアホだと思った。

そう悟った釣師郎はすぐにアメリカ屋釣具店に向かいダイワの#8を買い付けた。 さすがにあのべにゃべにゃオービス#6では話にならないだろうと思ったからだ。

今でこそ湖のFFはメジャーになったが、当時でもFFは渓流のドライフライが正統派だった。 聞けばもっと昔の昭和50年ごろでは、湖ではフライ・キャスティングでは釣れないと信じられていて、湖でフライと言うとそれは即ボートからのハーリングを意味したそうだ。 つまり湖ではキャストしないのである。

支笏湖で釣りをしている人は殆ど見かけなかった。 チップ解禁の時ぐらいは、変な仕掛けをジャラジャラ風になびかせて岸に戻ってくるチップ釣師は何人か見た。 何だありゃ?てそのオヤジたちを怪訝に見ていたが、まさか自分が将来ヒメトロ師になるとは夢にも思っていなかった。

短い夏の一時はキャンパーがやって来る。 その時は遊びで竿を出す人たちが何人かは居た。 釣師郎もそう言う時は岸が騒がしいので無理にFFはやらずに、おもちゃ延べ竿の先にイクラを付けて美笛川で豆アジみたいなアメマスを釣って遊んでいた。

今時のオートキャンプ場みたいな何でも揃っていますなんて場所ではなく、当時の支笏湖のキャンプて野宿の延長みたいな感じだった。 トイレはその辺の茂みの中だった、男女とも。

ある夜小便しに近くの茂みの中に入って用を足していると、突然茂みの向こう側の林道をライトを点けた車がやって来て辺りを照らし出したら、なんと釣師郎の足元からキャー、イヤーと若い女の悲鳴が上がった。 マズメ時は大物は驚くほど足元近くにいるとは本当だった。

キャンプシーズンが終わると岸は静かになる。 釣り人に出会うのは2、3人てとこだった。 多分周囲40キロの湖岸線に週末10人、平日3人てとこだろう。 雪が降り出しても湖畔まで降りられる限りは通った。

この頃になるとぎりぎりまでディープ・ウェーディングしていた。 何でかと言うと水の中の方が暖かいからである。 そこで思ったのだが、正しいキャスティング・フォームをマスターしないとディープできないことを知った。

アメマスがよく釣れたが、それはニンフが一番良く釣れたと思う。 ニジマスはたまに釣れたが、釣れた時は50オーバー級の大物も混ざるので、はらはらドキドキで面白い。 ニジマスと言うとすぐ放流物と思うかもしれないが、ここ支笏湖のニジマスは完全天然物で良く走った。

世界三大ゲームフィッシュとは、レインボー、バス、マリーンと本に書かれているのを読んだことがあるが、その理由がここでよく分かった。 アメマスと対照的にニンフよりウエットの方が良く釣れた。 アレキサンダーとかロビンとかが良く釣れた。

たしか7月ごろだったと思うが、美笛の浜で二泊三日の一人合宿をした。

フライロッドを背中に担いで最低限のキャンプ用品と食料をシートに括り付けて、愛機NINJAに乗って支笏湖西側の悪路を走破して美笛に入った。 この確か9キロの波状路を車体重300キロのリッターバイクで走破するバカ者は、まずいないだろうと思う。

美笛の浜に着いたら案の定人っ子一人居なかった。 土の広場にサイドスタンドを立てて単車を停めて、フルフェイスのヘルメットをハンドルにぶら下げ、荷物をシートから降ろした。 しかしこれが後でとんでもないことになるとは、そのとき知る由もなかった。

一人用の小さなテントを砂地の浜に設営し、石で囲ってかまどを作りEPガスのランタンを組み立て飲料水の確保をした。 そしてタックルを用意してウェーダーを履いて水に浸かった。

今回の一人合宿は土・日・月の3日間であったが、休みである土日ですら誰にも会わなかった。 今にして思えば本当に楽園だった。 ニンフで浜を釣り歩くと、適当に飽きない程度にアメマスがぽろぽろ釣れた。

話が前後するが、初めて支笏湖でした釣りはルアーだった。 このホームページのどっかにも書いたはずだが、そのデビュー戦は一生忘れられないほどの衝撃的な思い出だった。

そのときの美笛も誰も居なかった。 真っ赤なスピナーをポーンと投げてリーリングすると、スピナーの後から1メートルぐらいの何かが着いて来るではないか! それは近くに来てすっと消えた。 巨大魚!? 心臓がバフバフとなって慌ててもう一投すると、またさっきの巨大魚らしき影がスピナーを追って来るではないか!

眼を凝らしてその正体を見極めると、何とそれはアメマスの群れだった。 先頭は10センチ20センチの小物だが、その後にピラミッドのように広がって30センチ、40センチのアメマスが数匹付いていたのである。 その群れが巨大魚のように見えた訳である。

管理釣り場にあるしばらく餌をやっていない人工入れ食い状態ではなく、ここは完全な天然湖で放流すらされていない手付かずの湖だ。 これには心底驚いた。

結局30センチ超のアメマスを釣り上げハンドランディングしたが、その左手に大げさかもしれないが、都会モンの釣師郎は支笏湖の野生を強く感じたもんだ。

さて話は戻って一人合宿のことだ。 一しきりアメマスをフライで釣った後、テントの外で真っ暗な湖を見ながら、ガスランタンの頼りない光の下でレトルト食品を絞り出して食べた。 自衛隊の野戦訓練よりもたぶんひどい食事だろう。

周囲40キロの湖岸を見渡して見ると、二つ三つと小さな灯が見えた。どうやら釣師郎と同じ湖岸でキャンプしている人たちだろう。 この広大な支笏湖で今人間は、釣師郎を入れて3、4人かと思った。 そう言うときて人間とは無性に人恋しくなるもんで、その小さな灯にすごく親近感・仲間意識を感じたのを覚えている。

何か荷物を取りに単車のところまで行こうと、ガスランタンを持って湖岸を歩いたら、まさに漆黒の闇で足元50センチぐらいしか見えなかった。 ちょうちん持って歩いていた昔の人も、こんな心細い気持ちしていたんだろうと思った。

翌朝も日の出とともにキャストした。 釣り方は本当にありきたりのチョン、チョン、チョンのリトリーブで何の芸も無くても釣れた。

浜の奥に進んで行くと小さな吹き溜まりがあって、何やら黒とオレンジ色の細かいゴミがたくさん浮いていた。 近づいてそのゴミを見て見ると大量の昆虫の死骸だった。 背中の真ん中(胸節)がオレンジの黒い昆虫だった。

そこで近くでキャストして釣ったアメマスの腹を割いてみると、その昆虫がびっしり詰まっていた。 合宿から帰ってこの昆虫を模したフライを巻いたのは言うまでもないが、不思議なことにその後一度たりともその昆虫を見たことがないのである。 したがってこのフライを浮かべたことは、一度もないのである。

日曜日の夜にまた湖岸を見渡していると、明日は月曜日で仕事だからなのか、湖岸に一つの灯も無かった。 この広大な支笏湖に今釣師郎以外に誰も居ないのかもしれない。 そう思うとぞぞぞっと怖くなってきた。

当時は携帯電話なんて便利なものは無かったし、独身の単身赴任なので二三日行方知れずになってなっても誰も心配しないから、ここでヒグマに襲われて死んでも、ウェーディング中に足滑らして溺死しても誰も助けに来てくれないからだ。

怖いからさっさとテントに入って本を読んだ。 テントの中では火を使わないことにしている。電池式の小さな蛍光灯で当時ヒットしていたジュラシックパークを読んだ。

負傷した人がとぼとぼ歩いているが、その後から小型肉食恐竜の群れがぞろぞろ付いてくるシーンだ。 その人が力尽きて倒れると恐竜たちが遠巻きに囲む。 死ぬのを持ってから食べるためにだ。

そのシーンをぞくぞくしながら読んでいたら、なんと釣師郎のテントの外を、何かがぐるぐる回っている足音がしているのではないか! ものすごくびっくりしたが冷静になってじっと考えていると、この足音からはどう考えてもヒグマみたいな大型動物ではなさそうだし、その次に大きいエゾ鹿でもなさそうだった。 たぶん好奇心旺盛なキタキツネのようだった。

じっとしていたらその内その足音は去っていった。 この世のもの以外については考えないようにした。

食べ残しはテントから離れた地面に穴を掘って埋めてある。 あまりでかい声で言えないが、川が流れているときには川に流してしまう。 完璧に管理されたオートキャンプみたいなところでしかキャンプしたことない人は分からないかもしれないが、北海道みたいな野生動物が住んでいるようなところで、食べ物や残飯をその辺に片付けないで置いておくと、夜中に襲撃されることがあるからだ。 誰も居ないと思っていても、動物はこっちをじっと観察しいるかもしれない。

あるときコンビニの弁当を誰も居ない浜の岩陰に隠して釣りをして戻って来たら、弁当が無くなっていた。 あれ?と思っていたら、少し離れたところに空から弁当が降ってきたのが見えた。

支笏湖は想像を絶することがたまにある。 走ってそこに行って見ると、間違いなく釣師郎が昼食に買った弁当だった。 何故かところどころに穴が開いていて中に水が入っていた。

はっと思って空を見上げるとカラスが一匹くるくる飛んでいた。 犯人はカラスだった。

釣師郎が弁当を岩陰に隠すのを上空から見ていて、釣師郎がいなくなったのを見てから弁当を盗み食いしようと思ったら過剰なまでの包装で食べられず、考えた末に空中から投下して弁当箱を破壊して食べようと考えたようだ。

そんなバカな!と思うかもしれないが、カラスはやたら賢いのだ。

これも支笏湖のカラスの話だが、休憩で浜に上がってオヤツのポテトチップうす塩を一人で食べていたら、近くにカラスが舞い降りてきて、おいらにもポテトくれとテレパシーを送ってきた。

一人だった釣師郎は面白いと思ってポテトを上げたら、最初はぱくぱく食べていたのでどんどん上げたら、その内塩っぱいと吐き出してしまった。

もう要らないか?と話しかけると、ちょっと考えてから、もう1回くれと言ってきた。 それでまたポテトを1枚上げると、なんとそのカラスはポテトを咥えて水辺に歩いて行って、しゃらしゃらとポテトを洗って塩を洗い流して食べたのである。

さて話は戻って一人合宿の最終日は朝から雨だった。 もともと水に入る釣りなので濡れることにはそんなに抵抗が無いから、レインウエアの上を着てやはり朝から釣り歩いていた。 この合宿中はたしかニジマスはぜんぜん釣れなくて、30センチ前後のアメマスばかり釣っていたような気がする。

明日の仕事の用意があるので、昼に上がって撤収作業に取り掛かった。 濡れたテントを丸めて押し込んで荷物を担いで単車のところに行って我が眼を疑った。

単車が45度くらいに斜めに寝ているのである。よく見て見るとサイドスタンドが地面にぶっすりめり込んでいる。 朝からの雨で地面がぬかるんで柔らかくなっていたからだ。

その雨の中、下がぬるぬる滑る中、一人で300キロ超の単車を持ち起こすのは死ぬほど苦労した。 いや下手するとずるっと足を滑らして下敷きになったら、シャレにならないてやつだ。

必死の思いで起こそうと雨の中力をウンウン入れていると、左の方からチャポチャポ何か水の音が聞こえてくる。 ふと左の方を見てみると、何とハンドルにぶら下げていたフルフェイスのヘルメットが、雨水で満タンになっていたのだ。 それを見て腰の力が抜けかかった。

それでもどうにか落ち起こして支笏湖を無事去ったのだが、びっしょり濡れたヘルメットの気持ち悪いこと悪いこと、雨の中吐きそうな思いで札幌に帰ったもんだ。

FFに限らずバイクで釣行する人は、ヘルメットは絶対にテントの中である。 そう言う教訓も支笏湖で教わった。
90年代後半になると悪夢のアウトドアブームが北海道にも巻き起こった。

貸し切りだった浜にはRVにキャンプ道具を満載したキャラバン隊が押しかけ、沖にはここは厚木の米軍基地かと言うぐらいの爆音けたたましい水上バイクが暴走しだした。

楽園を追われた釣師郎は、その後しばらく湖畔を転々とさまよった。 そして最後に行き着いた新天地は、最果ての大地、北側旧有料道路のテトラ帯だった。

ここは味も素っ気もないテトラ帯なので、キャンプするスペースも水上バイクを下ろすスペースもないため、ここだけは荒らされていなかった。

しかしそこは頭の上に道路が走っているためバックスペースが全くない地帯で、ここでのFFは相当な困難を極めた。 風の強い日も多くバックスペースがないため、風が一瞬吹き止むのを待って後の道路に自動車が走っていないことを確かめてから、斜め45度にキャストする窮屈な釣りだった。

それでもここの魚影は濃く、目の前15メートルぐらいにぽてっと落ちたフライにヒットすることも多かった。 潜って確かめた訳ではないが、一説によると北岸には湖底から温泉が噴出している地点がいくつか在るため、水温上昇が早くシーズン最初に釣れ出すエリアと言われていた。

ある時いつものように#8ロッドを担いで、テトラ帯をウェーディングしながら移動していると、テトラ帯の上の道路のガードレールのところに投げ竿を立て掛け、沖をにらんでいる一人の釣師がいた。

しばらく下から見ていたらヒットしたらしく、彼はガァァッとリールを巻き上げた。 すると透明な変な玉子の先に30センチぐらいのアメマスが付いていた。 不思議な仕掛けで釣っている彼に興味を持った釣師郎は、声を掛けて道路に上がって彼と話をしてみた。

聞けば、飛ばしウキにドライフライを付けた投げ釣りと言う。 世の中にはこんな発想の釣りがあるのか!?と感心した。 たしかにこの時代には、スプーンのテール側にフライを結んでキャスティングする管釣り釣法はあったし、今はもう売っていないと思うが、お持ちのルアータックルでフライがキャスティングできると言う30センチぐらいのへの字のプラスティック棒なんかのキワモノ・グッズは見たことがあるが、ここまで合理的で大掛かりなヘビー・タックルは見たことなかった。

しかもドライフライ用だ。彼と話してみると、この不思議なタックルで昨日は小一時間でアメマスを8本釣ったと言う。 高台である道路から湖面をじっと見ていると、群れが回って来るのが見えると言う。

その回遊コースにポテッとでかいドライフライを落として群れを待つ。 魚は上を見て回って来るので、そこがどんなに深くても関係ないそうだ。 話を聞いてなるほどと思った。 が、そんなごついタックルでは、今釣ったアメマスの3、40センチクラスでは、何も釣り味がなくてつまらないだろう、と。 すると彼は、こう言った。

「昨日も見た、それもツガイだった。」

「何を?」

「1メートル50センチ級、少なく見ても1メートル20センチはあるツガイだ。」

「それは鯉じゃないのか?」

「いや、鯉ではない、鯉と鱒ぐらいの見分けはつく。 あれはたぶんアメマスだと思う。 俺はあいつらを死ぬまでに釣ってやるつもりさ。」

当時の支笏湖は巨大魚の話は確かにあったが、それは伝説とか噂話程度のものだった。 今でこそ支笏湖はメーター級のブラウンが実際に釣れる湖として有名になったが、当時それを本気で狙うとは、普通の釣り人から見れば、ただのバカモノだったはずだ。 しかし、彼は本気でメーターオーバーを狙っている大物師だったのだ。
支笏湖で学ぶことは多かった。

数は釣れるようになったが、大物は釣れない壁にぶつかった。 この壁は釣師であれば必ず通る道である。 現在はレイクトローリングのこの壁にぶち当たって日々悶絶している。

ある時自宅の裏のT美の副支店長と世間話をしていた。 たまたま支笏湖のFFの話になったら、実はこの副支店長よく支笏湖で50オーバー、時には60オーバーのニジマスをフライでぽろぽろ釣っているとのこと!? 「し、師匠、是非奥義をご教授!」とお願いしまくって秘法を教えてもらった。

それは夜釣りだった。

今でこそ支笏湖の夜釣りが盛んになっているようだが、当時日中ですらろくに釣り人がいない支笏湖の平日の夜中に釣りだとぉ? おそらく周囲40キロ副支店長たった一人だろう。

「真っ暗でしょ?」

「真っ暗です。」

「見えないと飛ばせないでしょ?」

「飛ばせません。でも10メートルも飛ばせれば十分です。 ホワイトウルフみたいなよく目立つ大きめのフライを落としてじっと待っていると、突然バコッと飛び出してきますよ。 夜は大物はかなり浅いところまで出て来ていますよ。」

耳からウロコが落ちるような話だった。

釣師郎はホワイトウルフを持って夜の支笏湖に一人で行った。 真っ暗なのでキャスティングの勝手が分からないが、そんなことよりいつ後からヒグマに襲われるかがドキドキで釣りに集中できなかったことを覚えている。

結局釣れたのはいつものサイズのニジマスだった。 漆黒の闇の中にただ一人ウェーディングしてひたすらじっとアタリを待つこの釣りは、キャスティングテクニックは然ることながら、強靭な精神を持ち得てない限り、耐え難いことを知る。 何度かチャレンジしたが、夜釣り専門の釣行はその内行かなくなってしまった。

またテトラ帯通いが始まった。

斜め45度じゃなくて真っ直ぐ飛ばしたいとの思いが募って、とうとう通販で某有名ショップのダブルハンドを購入した。 まぁダブルハンドの長さがあれば、上の道路を越えてバックが取れると思ったからだ。

値段は結構高かったが、値段の割に何か作りが思ったほど良くなかったのが、商品を手に取った最初の印象だった。 そのダブルハンドを持ってテトラ帯に行ってはじめて振ってみたのだが、カタログに書いてあった様なすばらしいキャスタビリティーとか心地よいキャスティング感なんかはぜんぜん感じられなかった。 単に釣師郎が下手だからと思って納得した。

あるオフシーズンにそれじゃまずいだろうてことで、自宅裏のただっ広い雪の積もった公園でそのダブルハンドのキャスティング練習をした。 東京でキャスティング練習するのは場所探しだけで大変だが、ここ北海道はいくらでも人のいない場所があった。

FFの本だと芝生の上で練習すると良いとよく書いてあるが、雪の上でも結構いい感じだった。 そこで飛ばないこのダブルハンドで悪戦苦闘していると、バックキャストの振りが遅いのではないだろうかと思って、すばやく後へ突き上げるように振ったら根元からバギッと折れやがった。

買ったところに修理を依頼したら、「最近の細い高弾性の竿は急激に力が加わるとよく折れるんですよ、カプラスみたいな竿だっら折れなかったんでしょうね。」と言われた。 修理はしたがその内そのダブルハンドは押入れの中に消えていった。 やはり未熟者の釣師郎にはまだダブルは早いと思った。

しかし数年後東京に転勤で戻った後に、釣友から業界話として、その有名ショップのオーナーが業界の内輪の集まりで、フライの客はバカばっかりで高い竿がバンバン売れるみたいな内容の発言をしたが、それが外部に漏れて火消しに大変なことになっていると噂話を聞いた。

カタログの夢のような記述、値段の高い竿、そのくせ作りが大したことない竿、簡単に折れた竿…、竿選びの考え方が変わった。 高い竿ほどよく釣れる、高いクラブほどよく飛ぶてのは日本人特有の迷信であるな。

雪の積もりだした美笛川の河口にウェーディングしてストリーマーを振っていた時、フォワードからバックキャストに移る際に、正面から強烈な突風が吹きつけた。 ラインスピードが加速して、でかいストリーマーがものすごい勢いで顔面に向かって飛んで来た。

あっ!と思った釣師郎は反射的に両腕を上げて顔面をガードしたら、ストリーマーがバシッと激しく肘に当たって後に飛んでいった。 強風のため後に飛ばされたフライラインは手首が持っていかれたが、偶然にもベリーが垂れることなく高く水平に一直線に美しく伸びた。

両腕で前が見えない釣師郎は恐怖から慌てて両肘を思いっ切り振り下げたら、逆風の中会心のナローループでスパァーッとストリーマーがぶっ飛んでいった。 支笏湖の女神が、フォルスキャトとシュートとの腕の使い方の違いを、身をもって教えてくれたようだ。

ウソみたいな話だが、釣師郎がFFを始めた頃は、シュートとフォルスキャストの違いはなく、フォワードのフォルスキャストでラインから手を離すと、それがそのままシュートであると説かれていた。

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貧乏とうさん さまへ

お返事遅れてすいません。いつも読んでいただいて、ありがとうございます。コメント返信が、何度やってもシステムエラーで・・・・
以前ブログにも書きましたが、このマニアックな釣り、レイトロて、バイク乗り、それも限定解除の大型が少なくないのです。知り合ったトロ仲間と釣り談義の最中、ひょんなことでツーリンクでどこどこ行ったとかで、えっ何乗ってたの??で、お互い昔単車乗りてのが分かったりして、そしてどうも同じ嗜好というか、同じような趣味の変遷があるようで、すごく不思議というか、親近感を感じるというか、楽しいなと感じたものでした。
ここ最近は湖は行けていません。年代的に子供の学費やローンや近所の野暮用…で難しいです。芦ノ湖はあるときから稚魚放流を主体に切り替えました。なので成魚がとてもネイティブぽくきれいになりました。しかしその反面そう簡単には釣れなくなって、お客が減ったとも聞いてています。大昔芦ノ湖近在の大先輩に、「芦ノ湖で釣れる様になって初めて一人前」て言われたの覚えています。
最近はもっぱら自転車で行ける近所の船宿から、東京湾の沖釣りですね。でも改めて思ったのですが、どんな釣りでも奥が深くて面白い、飽きないものなんだなぁと思いました。ではこれからもよろしくお願いします。
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choshiro

Author:choshiro
釣師朗 (ちょうしろう)
マス類の70オーバー(管釣は除く)はないけれど、60オーバーは数本揚げている程度の自称”大物レイトロ師” 写真の獲物は琵琶湖のビワマス。しかしその実態は小物得意のヒメトロ師だ。
家計の足しに東京湾にも出漁するが、アジ・サバ・キスと典型的な東京湾サンデー小物師。銀山・中禅寺は苦手。芦ノ湖、琵琶湖は好き。ルアーの宗派は天然貝教清貧派の模範的な信者。ビックミノーやバブリーな釣り道具は使わない、いや買えない。
千葉県にあっても”東京”ディズニーランドのある浦安市在住。年齢は平均寿命の半分をとっくに過ぎたねて感じ。大病もしたし後何回釣り出来るかなて思う今日この頃てか。

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