釣師郎が初めて自分の竿を、もちろん釣竿のことであるが、それを握ったのは、小学1年生のころだったと思う。
どう言う風の吹き回しが、突然父親に連れられて近所の釣具屋に行ったのを覚えている。 そこはおもちゃ屋ぐらいしか連れて行ってもらったことのない釣師郎にとっても、まことにトワイライトな空間だった。
狭い店内には、棒、つまり竿が所狭しと並べられており、見たこともない、少なくともおもちゃではない、いや釣り具は大人のおもちゃか?、小物たちがショーケースの中にびっしりと飾られていた。
父親は多摩川がどうしたこうしたとか、赤虫がどうだかと、店の主人とカウンター越しに何やら話をしていた。 何も判らない釣師郎は、店に並べられている不思議な道具たちを飽きずに見ていた。
その内商談がまとまったのか、これがおまえの竿だと竹の継ぎ竿を父親から手渡された。
6歳にして握る ( 論語 )
休みの日に多摩川に連れられて行った。 しかし、遠い記憶を辿ってみると父親が釣りキチであったことはなかった。 子供であった釣師郎との遊びとして、その時たまたま釣りを始めたのだろう。 だから今の父親はまったく釣りに興味を持っていない。
しかし、お蔭様で釣師郎は、会社が倒産の危機に直面していた時でも、会社サボって芦ノ湖に釣りに行くくらいの大バカ者に見事に成人してしまった。 父親には感謝してますぜ。
さて、その初めての釣行日は、ぽかぽかした小春日和の日だったのを覚えている。 父親に仕掛けの打ち込み方を教えてもらって、まぁその父親も何かのマニュアル本を読んでのにわか仕込みだったと思うが、さぁやってみろとなった。 もちろん多摩川で何が釣れるかなんてさっぱり知る由もない。
釣師郎は初めて振るこの釣りというものにドキドキしていた。 そして言われる通り買ってもらった竿を勢いよく振り込んだ。
ズッシン…。
いきなり強い手応えを感じた。 もう釣れたのか?
しかし、そのヒットは目の前の多摩川からではなく、真後ろから来たのに気付くのに時間はかからなかった。
何と釣師郎は、後ろをたまたま歩いていた若い女性のスカートの裾を釣り上げてしまったのである。 まさにこれじゃサザエさんだ。 いやサザエさんのカツオになってしまった。
父親が慌てて釣り針を外そうとしたが、掛かっている所が所だけに若い女性に四苦八苦していたのを覚えている。 何が起きたかよく判らない釣師郎は、この喜劇を他人事のようにぼぉと見ていたと思う。
釣師郎、生まれて初めての釣果は、ヒト・メス・推定20年魚・150センチくらいの多摩川では超大物であった。
それからしばらく釣りに連れられて行った記憶はない。 もちろん多摩川はこれっ切りだった。
次に釣りをしたのは、父親の仕事の関係で福島県に転校した小学3年生ぐらいのころだと思う。 家族ドライブ旅行でりんどう湖牧場に遊びに行った時である。 園内にニジマスの釣り堀があった。 たくさんの人がニジマス釣りを楽しんでいた。 釣師郎は父に連れられてこの釣り堀で釣りをすることになった。
久しぶりの釣りだ…。
父親は今日の夕飯のおかずに3、4本と思っていたと思う。 竹の延べ竿を持たされた釣師郎は堀の辺に立って池の中を除くと、そこには無数のニジマスに混じって、黄色い魚が数匹泳いでいるのに気がついた。
( あれが釣りたい…。 )
ところであの黄色いニジマスは何なのか? 何かの本であれは養殖のための標識として必要な魚であるようなことを読んだ記憶があるが、真相はよく判らん。
両親は優しかった。 釣師郎がその黄色いニジマスを釣り上げるまで、ニジマスを釣らせてくれたのである。 今でもそうだと思うが、釣った魚はリリースしてはいけないルールだった。 おかげで、その黄色いニジマスを釣るまでに、晩ご飯以上の数多くのノーマル・ニジマスを釣ってしまった。 もちろんすべてお買い上げだ。 ゴメンね、お父さん。
しかし、その後の釣師郎の釣り人生は、長い長い暗黒時代を過ごすことになった。 そうなのだ。 ボウズ街道ばく進中となってしまった。 ザリガニ釣りは除くが、コイもダメ、真ブナもダメ、金魚すくいもダメであった。 だからクラスでは釣れない釣師郎で通っていた。
やはり釣れないと釣りから遠ざかるものだ。 中学生の時に福島県から石川県に引越ししたが、しばらくは釣りをしていなかった。 そんなある日、大きな転機がやって来た。
当時NHKで人気番組の「レンズはさぐる」とか言う子供向けの科学番組があったのだが、ある時「ルアーフィッシング」の特集を放送したのである。
これは釣師郎の度肝を抜いた。 もともと自分が釣れないのはエサ釣りだからと勝手に思い込んでいたため、この餌釣りとはまったく異なる舶来の釣りに強い興味を持ってしまったのである。
だいたいあんなオモチャのような金属片で魚が釣れること自体、摩訶不思議であり、実際釣れるのをTVで見て痛快に思った。 しかも、若い女性アングラーが格好いいスタイルで、遠くの空缶にすぱすぱルアーを投げ込む様は、格好いいの一言に尽きた。
この釣りしかない。 俺の求めていた釣りはこれだぁ! ( 単細胞 )
翌日、お小遣いをかき集めて町で一番大きい釣り具屋に速攻をかけた。 当時の北陸の釣具屋のルアーコーナーなんて、今に比べればホントに寂しい限りだった。 もちろんバスなんて北陸にはいないので、ルアーはスプーン・スピナー・ミノーぐらいしか置いていなかった。 しかも少量だ。 まだ、こんなもの使う釣り人はマイナーだったのであろう。 昭和50年ごろだったと思う。
しかし、釣師郎は重大なことに気がついた。 そう、ルアーロッドとリールを持っていないのである。 店にはとても子供の小遣いで買えるタックルはなかった。 だいたい置いているルアーにしたって、トビーやラパラと舶来モノばかりであった。 ちなみに今ではAbuも並行輸入でバカ安くなったが、当時のラパラは高かったね。
資本主義の現実に打ちひしがれた釣師郎は、その釣具店を後にした。 しかし、抜ける髪あれば生える髪ありだ。 近所のジャスコの中に何故か釣り具コーナーがあったのだ。 なんで?
そこに行って見ると入口近くにビニール袋に入ったルアータックルセットなるものが、何とか釣師郎でも買える値段で販売されていたのである。 当然即ゲットである。
セット内容は、「ペンギン」と銘打たれたロット、ペンギンのブランドて何だ? ダイワのクローズト・フェイス・リール、それと明らかにトビーのコピー版のちゃちいスプーンが3個入っていた。 このリールは今のダイワのカタログにも載っているようで、まさに懐かしのロング・セラーだと思っている。 しかし、最近クローズト・フェイスのリール使っているアングラー見かけないけど、かえって釣り場で目立ったりしてね。
3個のルアーはその日の内に金沢市を流れる犀川の波間に消えて行った。
恐ろしい…。 この釣りは滅茶苦茶にお金がかかるかもしれない。 そしてその日からお小遣いはスプーンやスピナーの消耗戦に消えて行った。 しかも、川底のゴミはイヤになるほど釣ったが、魚を見ることはここでもなかった。
日に日に現実に打ちひしがれる釣師郎を、父親が釣りに誘ってくれた。 父親は金沢の街のど真ん中を流れる犀川で、いもしないマスを釣ろうとしている決定的な欠陥に気付いたのであろう。
どこで仕入れて来たのか父親は、県内の大日ダムに連れて行ってくれた。 ダムが近づくと道はだんだん狭くなり、ダム周りは未舗装道路であった。 車をのろのろと走らせたが、さらに道が狭くなり、路肩もいい加減なので途中で車を停めて、父親と2人でバケツと釣り道具を持って歩き進んだ。
しばらく歩くと、ゴォーゴォーと水の流れる音が聞こえてきた。 そこは山肌から長い滑り台のような放水路が設置されており、激流がダム湖に流れ込んでいた。 上から流れ込みを見渡すと、辺りには人っ子一人見当たらなかった。 湖は減水気味で放水口の周りは十分立って歩けるくらいのスペースが確認できた。
釣師郎たちは急坂を恐る恐る下って放水口の所までやって来た。
ここでやってみよう…。
釣師郎は赤いメップスのスピナーを激流の先に思い切り投げ込んだ。 ルアーは流れに乗ってラインがドンドン出て行った。 釣師郎は適当なところでクラッチをつないでリーリングを始めた。
ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン…
あぁ、また根掛かりか…。
半泣きになった釣師郎はリールをダメもとで巻いてみた。
グン、グン、グン、グン、グン…。
えっ!? 動いている?
30センチぐらいの赤い線の入った魚がスピナーの先にくっ付いていた。
うわぁ、魚だ。 初めてルアーで魚が釣れた。
上がって来た魚は、立派な大きさのウグイだった。 いや、実はこれがウグイと知ったのは、家に帰ってからの図鑑で知った。 バカな釣師郎は、釣った時は勝手に岩魚だと思っていた。
放水口から少し離れた父親も、延べ竿にカマボコの餌でウグイをすぐさま釣った。
釣師郎は釣ったウグイをルアーから外してバケツに移した。 バケツの中ではウグイがバチバチ跳ね回っていた。
釣師郎は興奮しながら2投目を同じ激流が湖面で少し緩やかになるところに放った。 ルアーは同じように流れに乗りラインがドンドン出て行った。
ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン…
また当たった。
上がって来たのは、同じくらいのサイズのウグイだった。
連続ヒットだ!!
ウグイをバケツに移して、直ぐ釣師郎は3投目を同じポイントに放った。
ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン…
また当たった。 3連続ヒットだ!!
もう釣師郎は夢を見ているようだった。 しかし、その夢はまだまだ終わらなかった。
4連続ヒット。 5連続ヒット。 6連続ヒット。
上がって来るのはすべて尺クラスだ。 バケツには入り切らないほどのウグイの獲物となった。 父親も2匹追加したようだった。
その夜、釣師郎たちは母親に興奮しながら自慢話をツマミに、そのウグイを塩焼きにして食べた。 母親はあんまり美味しくないようなことを言っていたと思う。 でも、釣師郎は嬉しくて嬉しくて滅茶苦茶に美味しかった気がする。
しばらくして釣師郎は父親にねだってまた大日ダムに連れて行ってもらうことになった。 釣師郎は今回はある秘密兵器を自作していた。
前回釣った魚はウグイであったが、今回は憧れの岩魚が釣りたい。 しかし、岸から近いところではウグイしか釣れなかったので、飛び切り沖に岩魚がいると想像した。 そのためには如何に沖にルアーを運ぶかである。 この得体の知れないベニャベニャのペンギンロットでだ。
自作した秘密兵器は、小型ジェットテンビンだった。 ピアノ線で小さなテンビンを作り、これにオモリ部分として板オモリをぐるぐる巻いた。 そのオモリ部分はプラカラーで赤く塗った。 マス族には赤が効くと聞いていたからだ。
父親と一緒に大日ダムのあの放水口に行った。 しかしその日はあのウグイ爆釣とはならなかった。 ウグイはいなくなってしまったようだ。
釣師郎は予定とおり秘密兵器をラインに結び、激流の先に力一杯投げ放った。 これは結構飛んだね。 そしてドンドンラインが沖に流れて行った。 完全にラインが出て行かなくなるのを待ち、期待を込めてハンドルをゆっくりと回した。
クゥゥと重くなる感じがしたが、それが魚かどうかなんか分かるほどの腕はなかった。 釣師郎はゆっくりと棒引きを続けた。
あっ! 何か付いている。
そう、1投目からヒットしたのである。
上がって来たのは、図鑑でしか見たことない20センチぐらいのヤマメだった。 手のひらに乗せたそのヤマメはとても美しかった。 今でもマブタにパーマークが焼き付いている。 大感激だった。
釣師郎のルアーフィッシングの原体験。 これで未来の釣りバカが1人完成したのであった。
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